Jazz Pianist
Scotland 2017
Texts and Photos by Takeshi Asai
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第1回 カウントダウンをスコットランドのエディンバラで |
「人は旅をしなければならぬ。旅をしないで一体何を書くというのか。」とはロード・バイロンである。私も旅をしないと死んでしまう性分のようで、公私ともに波乱万丈であった2016年の締めくくりと、新しい年へのカウントダウンをスコットランドのエディンバラで行うことにした。もっとも、私はイギリス人に薔薇戦争、フランス人にブルボン王朝の歴史を講義するほどの無類の歴史オタクで、フランスとUKの王朝史を研究する上で大きな役割を担うスコットランドには遅かれ早かれ行かなければいけないとは思っていた。読み始めたスコットランド女王、メアリー・スチュワートの伝記をカバンに、年の瀬の30日夜、JFKからエディンバラに飛んだ。 飛行機は快適で6時間半、寝る間もなく小綺麗なエディンバラ空港に着く。レンタカーの係員が最初に話したスコットで、聞きなれないアクセントであったが、コミュニケーションに全く支障は無い。がここで誤算の連続である。その一、ここの通貨はユーロではなくポンドである。昨年国民投票でEU離脱を選択して世界を驚かせたUKであるが、もともと通貨統合には加入していないのであった。最初からやる気無いわけだ。そして車をピックアップして誤算その二、右ハンドルではないか。忘れていた。日本で右ハンドルを運転していたのは随分昔。徹夜明けで頭が重いところ恐々運転して予約したB&Bへ。 UKの旅行はB&Bが良いとはよく聞く話だ。エディンバラから車で30分の田園地帯にあるこのファームハウスは、小さい城かと思う石造りの綺麗な建物で、周りに広がる田園風景は見事である。庭には大きな馬場がある。ご夫婦のホスピタリティーは天下一品で(まずチェックイン時間にこだわらず、飛行機が着いてその足で直行させてくれた)、台所でご主人が他のお客さんと一緒にエディンバラの地図でその夜のカウントダウンについて説明してくれた。まるで、友人の家に遊びに来たかのようなおもてなしだ。かつてはメイドを呼び出すためのスイッチがある部屋は広くて綺麗で、調度品のセンスも抜群である。極寒の地を想像して来たのだが窓からは庭に咲く花が見える。雨が多いからだろう、冬なのに緑である。ただ、風がごうごうと唸っているあたりは、スコットランドの荒々しさを感じる 部屋で少し休んで美味しいEnglish Breakfast Tea(紅茶がこれほど美味いとは)とShort Breadをいただいて夕方6時、とっくに暗くなってしまったが(ここは4時に暗くなってしまう)カウントダウンにエディンバラに出発。雨が降る、しかも街灯の全く無い初めての田園地帯を右ハンドル&マニュアル車で左側通行で運転するのは少々度胸が要る。門を出たところで危うく正面衝突するところであった(笑)。しかもハイビームの切り替え、ウィンカー、ギアチェンジを全て左手一本で操作して、かつクラッチも左足、人間工学的にこれってどうなのかな。 と苦労しているうちに無事にエディンバラの街へ。スコットランドの首都だけあって大都会である。早速腹ごしらえで何か美味しいスコットランド名物を食べたいところであるが、なぜか目の前に現れた中華料理屋に入って麻婆豆腐を食べる。美味い。 お腹が満たされ、歩いてオールドタウンに向かう。狭い路地を「close」少し大きい路地を「wynd」というようだ。そういうたくさんの路地に、タータンチェック、キルト、ウールを売る店、そして伝統的な音楽を生で聞かせてくれ、スコッチやエールを飲ませてくれるパブが並ぶ。街のスクウェアでは、バンドがスコットランド民謡を演奏し、皆がその場で輪になって伝統的なダンスをしている。思わず一緒になって踊りたいところであるが、意外にもダンスが難しくて見るだけにした。 見るからに古いパブに入ってみた。スコットランドの軽快な伝統音楽を生で聴けるのは嬉しい。偶然にも空いた席に座ってスコッチとエールで乾杯。ボストンから来たという隣のカップルが話しかけて来てくれた。ハイランドのPitlochryという街が素晴らしく綺麗だから行くと良いを教えてくれた。旅先での出会いは時として大きな友情になってしまうこともあるのだ。 さて、体が温かくなった頃に頂上のエディンバラ城に向かう。ここで大きな花火が上がるのだ。待つ事10数分、カントダウンとともに花火が打ち上がった。まるで花火を計算しているかのような綺麗な電飾を背景に、素晴らしい色の花火が真っ暗な空を照らす。そしてその度に城の建物がシルエットとなって浮かび上がる。これ以上の花火が他にあろうか。素晴らしいカウントダウンだった。 (続く) |
第2回 エディンバラの元旦 |
昨夜はカウントダウンで夜更かしだったが、朝の8時でも暗いのを幸いによく眠れた。B&Bの遅い朝食には、私たちの他にカナダ人のカップルと台湾の家族が一緒で、皆で旅の話で盛り上がった。朝食はゴージャスの一言。格別に美味しいシリアルに、ここで採れたであろう果物の漬物、美味しいパンに、手製のジャム、ハムに卵に、それはそれは豪華で、一通り食べると昼ご飯をスキップしても良いくらいお腹が満たされる。カナダ人のカップルが、ハイランドに行くと007の映画に出る景色があると言う。機内で見た映画Skyfallだと合点がいった。またしても旅先の貴重な情報である。 さて、昨日花火を見たエディンバラ城に今日は昼から右ハンドル車で出かける。30分で到着。目の前の丘にそびえ立つこの城は壮大である。地質学的にも面白い絶壁の丘の上に立っていて、戦略的には非常に有利であろう。9世紀頃、まだこの辺りがスコットランドでもイングランドでもなく、ノーザンブリア王国と言われる頃からこの城は立ち、以来スコットランドとイングランドの複雑で壮絶な歴史の中で重要な役割を果たして来た。そう、今回スコットランドに来ようと突然思い立ったもう一つの理由は、ある機会に聴いたノーザンブリアのフォークソングだった。音楽の力は大きいのだ。 見慣れたフランスの城はほとんどが白い大理石だが、ここは岩の色そのもので、その荒々しさが、私の知っているスコットランドの歴史に見事投影する。丘の上からは海も良く見える。が、何せ風が強くて寒い。 城内には国宝級の建物と歴史的文化財が並ぶ。目玉はScottish Regalia、「スコットランド三種の神器」とでも訳すべきか、戴冠式で使う王冠と笏(しやく)と劔(つるぎ)である。笏はローマ法王アレクサンダーVI世、劔は有名なローマのシスティーヌチャペルの天井画にミケランジェロを雇ったローマ法王ジュリアスII世の贈り物だそうだ。私のリサーチのヒロイン、メアリーは生後9ヶ月で即位しこの神器を使ったという。特筆すべきはStone of Sconeである。一人では持ち上げられないくらいの長方形の石である。歴代のスコットランド王は、魔法の力があると信じられていたこの石の上で戴冠式を行って来た。13世紀スコットランドの併合を企むエドワード1世は、この石を奪いウェストミンスター寺院に運びそれを戴冠式の椅子の下に敷いてしまった。スコットランドにはさぞかし屈辱であっただろう。1996年、現エリザベス2世はこの石を、戴冠式の時だけウェストミンスター寺院に戻すという条件で本来のエディンバラに返還したそうだ。 メアリーのアパートメントも復元してあり、彼女がスコットランド王ジェームズ6世、後のイングランド王ジェームス1世を出産した部屋がそのまま残っていた。窓のほとんどない暗い狭い部屋である。中世では出産は陽に当たってはいけないと信じられていて、皆このようなくらい部屋にこもってお産をしたそうだ。 城門からまっすぐ伸びるRoyal Mileと呼ばれる道を歩いてHolyroodhouse Palaceに向かう。道中土産物屋が並ぶ。タータンチェックのマフラー、ウールの帽子、店の奥には正式なキルトを売るコーナーもある。タータンチェックは家柄によって代々柄が決まっていると言う。寒いので、耳あて付きの毛糸の帽子を買う。スカートを履いたバグパイプ吹きが寒い中演奏してくれていた。 宗教改革者John Knoxの家が500年の歳月を経て今も残っていた。時間があれば入りたいのだが、次の目的のHolyroodhouse Palaceが閉まる前に行きたいのでパスした。そしてなんとかPalaceに到着。時間は3時過ぎである。急いで中に入ろうとするとSold Outと言われ、目の前で打ち切られてしまった。なんて意地の悪い対応だと途方に暮れて立っていたら、若い女性職員が大丈夫かと優しく声をかけてくれた。どうやら意地悪ではないらしい(笑)。最近の私は全てポジティブに考えようとしている。だったら、そこにある綺麗なカフェで少しお遅いアフターヌーンティーだ。アールグレーとスコーンを食べた瞬間に宮殿に入れなかったことに感謝した。しかも4時、すでに暗くなってしまったので入らなくて正解だろう。とは言えまだ4時。夕食には早いし、ナイトライフには超早い。Holyroodhouse Palaceは明日の課題にして、とりあえず宿に戻ることにした。 夜Google Mapで検索すると近くの町にいくつかレストランが並んでいる。こんな田舎に意外と思いながら出かけていくと、海からの風が吹きすさぶ海辺の町にいくつか店が開いている。インド料理に惹かれて入った。うまい。安い。親切。食後に誰もいない通りを少し歩いた。この田舎町はタダモノでは無さそうだ。明日調べてみよう。 すっかり忘れていた。今日は元旦だった。 (続く) |
第3回 新旧対決:タンタロン城とホリロッドハウス宮 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() B&Bの素晴らしい朝食を堪能して、この日は昨日ガイドブックで見つけた美しい海岸に立つ廃墟となったTantallon Castleに出かけてた。途中に昨夜夕食を食べた海辺の町を通る。そして、突如と現れた古城。周囲には何もない吹きっさらしの岩の海岸にそびえ立つこの巨大な石の建造物は遠くから見ても圧巻である。ゲートはシーンズンオフで閉まっていたのだが、それは閉める方がおかしい(笑)。夫婦で柵を乗り越えて中に入る。でも城に近づくとさらなる柵があり、そこから先はその道のプロでないと入れないので諦めた。でも私には大枚をはたいて買った望遠レンズがある。そう、この城は遠くから見るのがベストなのだ。と自分に言い聞かせつつも、「これは夏に来なければならない」と思った。 このあたりの海岸線の美しいこと美しいこと。風が強いので長くはいられないが、冬というのに強い日差しと荒々しい岩肌、沖にそびえる岩山とそこに立って眩しいくらいに陽を反射する白い灯台。これはこの街を探索しなければいけない。North Berwickというそうだ。早速ダウンタウンに出ることにした。10分も走ると、素晴らしく綺麗な海辺の町に出た。人々が出ていて、寒風の中にもどこか暖かさがある。どこか映画で見たイギリスのリゾート像と合致する。先ほどの岩の島と白い灯台が見える。今度は車を停めて400ミリレンズで撮影をした。写真家として興奮する瞬間である。 さて、昨日3時に入れなくなったHolyroodhouse Palaceに今日こそ入らなければならない。ので三度エディンバラへ。この宮殿はエリザベス2世のスコットランドのオフィシャルレジデンスである。それだけに古いながらも格式がある。オーディオガイドで一部屋一部屋詳しく説明を聞きながら進む。説明の中に探していた大事実が出てきた。私の専門フランスはブルボン王朝のルイ16世の兄弟で、王政復古を成し遂げたルイ18世の弟、後にシャルル10世として即位するアルトワ伯が亡命中ここに住んでいたという。彼を迎えるためにリノベーションをして揃えた家具は今もあると言う。フランスとスコットランドは共通の敵イングランドに対して、「敵の敵は友」的友好関係を保っていたようだ。 ここにもメアリーのアパートメントがある。フレンチルネッサンスの嚆矢時にフランスの宮廷で華やかに育った彼女は、夫フランソワ2世の死後、19歳の未亡人として失意のままスコットランドに戻って来た。フランスとは違い、スコットランドは寒くて暗い。しかも当時は文化的にフランスにはかなり遅れていた。彼女が一生懸命に装飾をしたアパートの部屋、食事をとる小さな部屋、関係するロイヤルファミリーの肖像などがそのまま保存してある。なんと彼女が作った刺繍、彼女の髪、直筆の手紙まで残っている。彼女の「秘書」イタリア人のミュージシャンが、夫の嫉妬で彼女の目の前で殺害されたのもその部屋である。彼女は彼をスカートの中に必死にかくまったとか。 続いて外に出ると、カトリック聖堂の廃墟があった。教会の廃墟。そう、イングランドのヘンリー8世が二人目の妻Anne Boleynと結婚する為に、ローマ法王から離反し英国国教会を設立、その下でクロムウェルがカトリック教会を搾取没収したのだ。その話は知識として知っていたがまさか王宮の庭にあるとは。作曲家メンデルスゾーンがここでインスパイアされて作った曲が交響曲第3番スコティッシュである。物悲しい曲である。私のスコットランドはどこか強く野蛮なイメージであるが、彼はメランコリーなサイドを見たのであろう。 午後3時。間も無く暗くなってしまう冬の最後のオレンジ色の日差しが宮殿を照らし素晴らしく美しい。最後に宮殿の隣に荒涼とそびえる山に登って上から目線の写真を撮ってホリロッドハウスは終わり。 4時、一旦車でホテルに戻る。B&Bの奥さんが出迎えてくれて、ポットにミルクを入れて差し出してくれた。もちろんミルクティー用である。部屋で早速、昨日からすっかりファンになったアフターヌーンティーをする。つまみはショートブレッドだ。 夜は、近くのローカルレストランに、三日目にして初めてスコットランドの郷土料理を食べに出かける。ホテルの近くの街道沿いの地味なレストランに入って、地元の人に混じってスコットランド名物Haggisを前菜にFish and Chipsを食べる。Haggisは言わばモツのソーセージである。今度はブラックプディングを食べなさいと言われた。それこそ真っ黒な内臓である。洗練されたものではないが素朴な美味しさが良い。フランスとは随分違うがこの垢抜けない素朴さがスコットランドの魅力だと思う。(続く) |
第4回 メアリー誕生の地とブレーブハートの古戦場を訪ねて |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() スコットランド4日目、今日はエディンバラ郊外に出る。目的はメアリーの生まれた城、リンリスゴー城(Linlighgow Castle)とスターリング(Stirling)、スコットランドの英雄、ブレーブハートことウィリアム・ウォレス(William Wallace)の古戦場である。 今日から朝食が私たち二人だけになった。「イングランドは今日が仕事始めだが、スコットランドはもう一日あるのよ」と奥さんが教えてくれた。スターリングはその奥さんの生まれ育った地元だそうだ。相変わらず朝は暗く、恐々しい風が鳴っている。その中を随分と慣れてきた右ハンドル車で出発する。 30分ほど高速を走ると、美しい佇まいの街に着く。そこにリンリスゴー城がある。ジェームス5世のこの居城でメアリーは生まれた。受付に座っていた若い女性が羊のような柔らかな笑顔と、今まで聞いたこともないスコッティッシュイングリッシュで客一人一人とゆっくり話をしながら出迎えてくれた。 川沿いにあるこの城は、典型的な中世の城で、昔の入り口は川から上がるように作られている。かつてはさぞかし優雅だっただろう。中に入ると、かつてのバンケットホール、召使いたちが働いたキッチン、教会、トイレまで残っている。バンケットに集う宮廷貴族たち、トイレに並ぶ列(笑)を容易に想像できる。屋根が全て飛んでしまっているので、川から寒風が吹きすさぶ。 城を見終わった頃に陽が出てきた。光を受けた川面と建物が本当に美しい。なぜロイアルパレスが廃墟となるのであろうか。もちろん、エディンバラにもっと大きな城と宮殿があるからだろうが、生後6日で父親のジェームス5世が亡なり、9ヶ月でクイーンに即位したメアリーが若干5歳にしてフランスに行ってしまったこともあるだろう。 城を後にしてスターリングに向かう。突如、そびえ立つ高い絶壁の上に光を浴びた大きな城が見えてきた。城の入り口から、スターリングブリッジとウォレスタワーが遠くに見える。この城のパノラマは大したもので、敵の進軍を即座に見つけ、戦局を把握するのにここほど優れた軍事拠点は他にないだろう。城から見える今はのどかなこの田園地帯が、幾度となくイングランドとスコットランド攻防戦の要となってきたのだ。 珍しくユニオンジャックが掲げてある。その訳を納得。城内にはエリゼベス2世の命により復元されたジェームス5世の宮廷があり、中に入ってここもロイヤルキャッスルであることを知った。部屋もさることながら絶壁の上に立つ城からの見晴らしが素晴らしい。ある時、鳥のような羽をつけてこの城のテラスからフランスに向けて飛び立った貴族がいたそうだ。フランスどころか真下に落ちて足の骨を折ったとか。助かる方が奇跡だ。 3時。ここで決断を下さねばならない。あと1時間で陽が落ちる。ウォレスタワーに行く時間はない。それを見越して陽のあるうちに望遠レンズで写真を撮っておいて本当に良かった。写真は光が命なのだ。でもブリッジには行きたい。というのでカフェで休憩したい気持ちを抑えて眼下のブリッジへ。 1297年9月11日、ウィリアム・ウォレス率いる五千人のスコットランド軍は九千人のイングランド軍と川を隔てて対峙した。この小さい橋は馬に乗った騎士が二人しか並べない。イングランドの騎士達が橋を渡り終え、整列して名乗りを上げてから戦いを始めるのが騎士道精神であるが、ウォレスは騎士ではない。橋を渡るイングランド兵を次から次へと襲い掛かり、逃げ場を失ったイングランド軍五千人を虐殺した。この戦いは「スコットランド人への鉄槌」と呼ばれたイングランドのエドワード1世を驚かせ、また目覚めさせた。彼はスコットランド貴族達の裏切りにあい、ロンドンで処刑された。ただ、その意思はスコットランド国王Robert the Bruceに受け継がれ、17年後にバノックバーンの戦いでイングランド軍を完全撤退させる。スコットランド女王メアリーはその子孫である。そして彼女の息子ジェームス6世が、後継のないまま亡くなったバージンクイーン、エリザベス1世の後を継ぎ、1603年ジェームス1世としてイングランド王に即位した。ここに連合王国(United Kingdom)が誕生したのである。 スターリングのダウンタウンのカフェで、にわか紅茶党になった私はアールグレー紅茶とキャロットケーキをいただく。近くに大学があるようで、店内にはブリタニカの辞典が並び、学生達が先生と討論をしている。2014年に行われたスコットランドのUK離脱を問う国民投票は独立反対に終わったが、UKがEU離脱を決めた今、スタージョン首相はもう一度投票を行うという。スコットランドとイングランドの歴史はまだまだ現在進行形なのだ。 (続く) |
第5回 007スカイフォールとネッシーの里を求めてハイランドへ |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() スコットランド最後の日はハイランドだ。エディンバラからロッホ・ローモンド、グレンコー、ネス湖を回る400マイルの行程を9時間で激走するのだ。そろそろ旅の疲れも出て朝が眠いのだが、8時半に静かな朝食。まだ薄暗い中にも今日は天気が良いことがわかる。ラッキーだ。 随分と慣れて来た右ハンドル車に乗っていざ出発。高速を一時間ほど走ると田舎道になる。景色がすこぶる綺麗だ。かつて日本でその歌を聞いたことのあるロッホローモンドを通る。太陽の光と、時折ある湖、うっすらと緑の草原、そこの木々、そこにかかるまるで夕暮れのようなオレンジ色をした日の光、心が洗われるような美しさである。所々に羊が放牧されている。その白い毛並みが陽の光をよく反射して遠くからでも見ることができる。その羊たちを是非近くで見たいので、一度車を停めて近づいて見た。羊という動物はおっとりしてゆっくりしているものだと思ったが、実際には非常に敏感で車の音に反応して一斉にこちらを向く。白と黒の羊飼い犬に追われてかなりの速度で同じ方向に一斉に走る。かなりの数の群れをたった一人の棒を持った羊飼いと二匹の犬でマネージしている。種の違う動物同士が一緒に働いている姿はなぜか心が暖かくなる。 さらに2時間走ると、景色は薄緑と茶色のU字谷となり、さらに進むとスコットランドでもっとも有名な景色Glencoreを走る。ここには羊はいない。宿で一緒だった若いカナダ人カップルが教えてくれた007の映画「Skyfall」のクライマックスで使われたシーンである。ダニエル・クレイグとジュディ・デンチは車でロンドンからここにやってくる。景色は映画そのままであった。細君によると、今まで観た「この世のものとは思えない絶景三選」に入るそうだ。雨は時より降るのだろう、程良い湿気と氷点上の気温とでうっすらと緑である。山間の谷には古い石の橋が見える。人々は古くからここに来ていたのだろう。ビクトリア女王はこのハイランドがいたく気に入って、バルモラル城というプライベートな城を購入している。 これもまたジュディ・デンチ主演の映画「Mrs. Brown」で、夫プリンス・アルバートを亡くして失意の底に沈んだビクトリア女王が、ハイランドに引きこもるが、ここでスコットランド人の馬係と密かにロマンスを結ぶという実話が描かれている。 道路標識の地名が二ヶ国語表記になっている。ゲーリックである。このハイランドは、元々エディンバラとは別の言語の別の文化圏があったようだ。虐殺記念碑まであるのだから、きっと私の知らない凄まじい歴史があるのだろう。 午後4時前、暗くなりかかった頃にやっとネス湖(Loch Ness)の先端にある小さな町Fort Augustusに到着。非常にひなびていて、センスが悪くてとても良い(笑)。Monster Fish & Chipsという店の看板が目に入った。定番の手足の先がヒレになっているネッシーの絵がトレードマークだ。世界的に有名なネッシーはこの湖に生息していると伝えられるモンスターで、恐竜の生き残りなのかどうかは知らないが未発見の大きな動物で、多くの目撃情報があったり、潜水艦で調査に乗り出したりで世間を騒がせて来た。数年前に人々が信じて来た首を水面に出して泳ぐネッシーの写真が実はハッタリであったという記事をタイム誌で読んだ。確か、高校の英語の教科書にもストーリーが載っていた。スコットランドの人たちは、外国人に最新のテクノロジーを駆使して正体を突き止められるよりも、そっと謎に包ませておきたいと思っているらしい。私もそう思う。第一モンスターの存在が否定されれば、先ほどのMonster Fish & Chipsの店は商売上がったりである(笑)。モンスターの真偽は別として、夕暮れのネス湖は何がいてもおかしくないくらい、深い谷に溜まった真っ黒な水が神秘的な湖であった。 非情にも湖を見ている間に日がくれた。これで今回のスコットランドツアーは終わりである。帰りは4時間半の行程を真っ暗の中ドライブしてすっかり馴染んだB&Bに戻る。途中、大晦日のタバーンでボストンのカップルに教えてもらったPitlochryに立ち寄って夕食。地中海料理(笑)を食べた。カップルの話は大正解で、水車のある瀟洒な建物や、小じんまりとした佇まいの素晴らしい街であった。 スコットランド最高である。5日間では絶対に足りない。食べ物はフランスほどのバリエーションがないが、見果てぬ城と壮大な景色を求めてまた来なければいけない。 (終わり)
Camera: Canon 6D and SL1
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