Jazz Pianist
Valencia 2024
January 14, 2024 - January 20, 2024
Texts and Photos by Takeshi Asai
|
第1話 バレンシアへ |
スペインのバレンシアに行くことになった。音楽の仕事なのだが、演奏旅行ではない。コンファレンスなのである。私の細君はNYの金融会社に務めるファイナンシャル・アドバイザー、私もかつてはアメリカのIT企業に勤めていた。二人の仕事に共通していることは時折業界のコンファレンスがあり、カリフォルニアやらトロントやらテキサスやらに出かけて行って基調講演、パネルディスカッション、ワークショップなるものに参加する。で、業界の人とネットワーキングをしてご当地の見物をする。それと全く同じものが音楽にもある。特にジャズ系の音楽はヨーロッパに多くあり、南仏カンヌ、ドイツのブレーメンに出かけたことがある。今回は珍しくスペインのバレンシアであった。というのも、私の母校、ボストンのバークリー音楽大学がバレンシアにもキャンパスを作り、そこでのコンファレンス卒業生割引で行かせてもらえることになったのである。折下大きなレコーディングプロジェクトが一段落してこのNYの生活からブレークを取りたいと願っていた最高のタイミングであった。 バレンシアというと真っ先に思い浮かぶのはオレンジである。地中海に面したスペイン第3の都市は写真で見る限り太陽の降り注ぐ暖かいところであった。そしてもう一つ有名なものがある。パエリアだ。パエリャとかパエジャとかカタカナ表記がそれぞれの”通”のこだわりによって異なるのだが、要は丸い鉄板の上で米を魚介類とチキンで焼いて作った大人気の米の料理だ。私も、フランスの野外のフェスティバルで大釜で調理したパエリアを食べて以来大好物になってしまった。 それともう一つ、今回の渡航を決めた理由が、このバレンシアが「歴史上最悪のローマ教皇」アレクサンデル6世の出身地であることだ。だからなんなのだという向きはあるだろうが、近年モナリザを描く少し前に描いたであろうとされるダヴィンチの肖像画が発見された。モデルとなっているとされる女性、イザベル・デステ(Isabella d'Este)の夫、フェラーラ公国の支配者、マントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガと不倫関係となったルクレツィア・ボルジア(Lucrezia Borgia)の父親アレクサンデル6世が、裏金と悪事を重ねてローマ教皇になる前に治めていた土地がこのバレンシアなのだ。そして、これまた父親以上の暴漢で、ありとあらゆる悪事を繰り広げながら己を正当化させるためだろうかマキャヴェッリに著させた『君主論』(日本で言えば藤原道長の栄華を語るプロパガンダ「大鏡」か)でモデルになったのがアレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアだ。そのボルジア一家の話はBBCを始め多くのドラマに取り上げられ、私も最近のリメイク、ジェレミー・アイアン主演のドラマを観て二の句が告げなかったのを覚えている。ただしルクレチアを演じたホリデイ・グレインジャーは当たり役で、その美しさは歴史家の間でも評価が高い(笑)。 これだけで飯が三杯食える。バレンシアに行こう! 自宅スタジオの最後の生徒が帰るや否やJFKに出発。全てスムーズであったが、British Airのロンドン便は大男二人に挟まれて窮屈この上無い6時間のフライトであった。ストップオーバーで久しぶりにロンドンに降りた。UKの誇りと名誉をフィーチャーした店が並ぶ空港にはユニオンジャックに紛れてイングリッシュ・ブレックファストの店がある。とても食べたい。とても食べたいのだが、2時間のレイオーバーは移動とセキュリティチェックで終わったしまった。仕方なく、小さな飛行機に乗り換えてバレンシアに出発。2時間で到着。簡単な入国審査で外に出ると暖かい!そして空気に海の香りがする。そうなのだ、ここは地中海沿いの街なのだ。暖かいのは本当に気持ちが良い。 さすがにお腹が空いたので、ここで朝ごはん(ランチ)。イングリッシュ・ブレックファストは無いので、仕方なく丸いパンに何かが一つ挟んである安いパンと、前の人が頼んだ「カフェコンレッチェグランド」を復唱した。なんと、このパンの中身は昔日本でも食べていたコロッケではないか!イングリッシュ・ブレックファストへの未練はここで吹っ切れた。そういえば、スペインは食べ物が美味しい国であることを思い出した。 タクシーには乗りたく無いのでUberを探すが、ここでは規制があるのかタクシーの乗らざるを得ない。なんと、電車やバスはここまで来ていないのだ。最近ではGoogleMapを使えば今どこにいるのか、どういう経路を進行中かモニターできる。多少不可解な(笑)経路を通って、多少標準の料金よりも高いが、「恵んでやる」ことにした。 ホテルに到着。なんとロビーには綺麗なガラスのピッチャーに切ったオレンジが入って、いつでもオレンジ水が飲める。しかも、ホテルの裏には公園があり、そこに自然にオレンジがなっているのに、誰も騒がない(笑)。スーパーには大きなオレンジジュースマシンが置いてあり、自分でカップを選んで操作するとその場でフレッシュなオレンジジュースを作ってくれる。さすがバレンシア。意外なことにホテルの部屋は10階で、バルコニー付き。そこからBerklee Valenciaが入った巨大な魚の形をした大きな近代的なビルが綺麗に見える。明日は朝10時からコンファレンスが始まるので、バレンシアの歴史的なオールドタウンに行くのは今がチャンスだ。が、歩いて1時間、バスでも30分はかかるし、まだ何も調べていない。しかも、かなり疲れている。それに明日は爽やかな顔で出席しなければならない。そうなのだ、これは仕事で来ているのだ。幸い目の前にスーパーがある。そこで食料を補給して、今日は大人しくホテルで休むことにした。これは出張なのだ。 まずは無地にこの南国に着いてホテルにチェックインして食料を確保したことに感謝。 (続く) |
第2話 史上最悪のローマ教皇 |
バレンシアの初めての朝。旅で疲れていたからだろう、よく眠れた。 空腹の為か、いきなり昨日食べ損なったイングリッシュ・ブレックファーストについて思い出した。そう言えばリバプール育ちのロンドンのミュージシャンがNYの家に泊まりにきて、お礼に家のキッチンでイングリッシュ・ブレックファーストを作ってくれた。美味しいがあまりにも量が多いために、昼になってもお腹が空かなかった。そういうば、スコットランド在住のご学友も同じことを言っていた。ということは、ホテルのブッフェで€18.99の朝食ブッフェをイングリッシュ・ブレックファーストなみに食べればランチをスキップできる!早速実行に移した。思い切り食べて10時のカンファレンスに出席。ちなみに、細君が行くファイナンス業界の開始時間は朝7時である。金融業界と音楽業界の差をここに見る(笑)。 会場はまず建物がすごかった。元々ここには街を取り囲む大きな堀があったのだと確信する。そこに広大なプールを作り、その上に魚やら貝やらをイメージできるアントニオ・ガウディ張りの曲線を生かした現代的なビルが立ち並ぶ。その名もCiudad de las Artes y las Ciencias(City of the Arts and Science)、その中に我が母校の分校、Berklee Valenciaがある。 基調講演は私も大好きなAlicia Keyを世に送り出したマネージャであった。その後にネットワーキングセッションがあった。私は人間関係が苦手なのでいつも辛いのだが、こんなおじさんにも若いミュージシャンが話しかけてきて思わず話し込んでしまった。皆スペイン人と思っていたら、バークリーの教師陣はほぼ全員アメリカ人、スタッフはスペイン人だが出席者もほとんどがアメリカから来ていた。それにイタリア人、ウクライナ人なども加わり一応国際色豊かな集まりであった。 昼にホテルに戻る途中、屋台で水とバスのチケットを買う。10枚で€6.5。一回の乗車が65セント、格安だ。 昼からは分科会があって、それぞれに好きなテーマの部屋に入る。受付で、「講師の方ですね、どうぞ。」と顔パスされてしまった。嬉しくないですが(笑)。この歳でこれまで音楽を生業にしているだけあって、全てのセミナーに出席することはない。そろそろ歴史家の血が騒いできたので、最後のセミナーはブッチしてカメラと先ほど買ったバスのカードを持ってオールドタウンに出かけることにして、こっそり抜け出して目の前に止まっていたバスに飛び乗った。バスは良い。ゆっくり走るので景色も堪能できる。Jardins del Realという綺麗なところを通る。カメラを持っていて観光者となった私に地元の老人が名所を指してくれた。Realというのは英語で言うRoyal。スペインがまだ統一される前、昔ここはバレンシア王国の首都であり、国王がいた。そう、戦国時代に、尾張、三河、近江、駿河、などと「国」がそれぞれひしめき合っているように、この地もスペインと名乗る前にはアラゴン、カスティリア、ナバール、バルセロナ、バレンシアなど夫々小国に別れており、夫々にRealがいた。因みにアラゴンのフェルディナント王子とカスティリアのイザベラ女王が恋に落ちて結婚し、二つの国が合わさって今のスペインの基が築かれた。そのイザベラが、スペインの統一のみならず世界に出かけて「陽の沈まない帝国」を作り上げた。その一方で異端裁判を徹底的に行い異教徒たちを弾圧した。その結果スペインは強大なカトリック教国となり、後にフェリペ2世は無敵艦隊アラマーダを率いてイングランドと戦った。身動きが取れない無敵艦隊を火船戦法で打ち破ったのがエリザベス1世、世界の支配はイングランドに移る。私がプロデュースしていたミュージカルの作曲家は、その残酷な異端審判から逃れてきた人の子孫である。お菓子のカステラはカスティリアからやってきた。私たちは今もその歴史の延長線上で生きている。 夕刻にバスでオールドタウンに辿り着いた。ヨーロッパの国はかなり歩いたが、このスペイン独特の情緒はとても異国である。大きな堀がある。今日では街の中心であるが、昔はここが海であったのではないかと思う。今も残る城門にはMarとある。港区のようなものだ(笑)。石の橋を渡る。そこに向かい合って二人の大理石の像がある。一つはローマ教皇の姿で、間違いなく「歴史上最悪のローマ教皇」アレクサンデル6世だろう。もう一人はわからないが、彼がローマ教皇になる前のRodrigo de Borjaではないだろうか。しまった、iPhoneで顔認証の写真を撮ればよかった(笑)。 午後6時、もう暗くなりかけていたので、直球をど真ん中に投げるが如くカテドラルを目指す。大きな広場に出た。壮大ではないが、15−16世紀には権力と美を誇る広場であったに違いない。急いでカテドラルの入り口を見つけ、中に入る。ここに「歴史上最悪のローマ教皇」がローマから雇ったアーティストが作品を作っているはずだが、一部が改装中で見ることはできなかった。が、13世紀から作られた壮大な柱の様子からかなりの建築物であることはわかる。 カテドラル見学を終えて広場に出てくると急にお腹が空いてきた。あれだけ豪華な朝食を食べてもきちんとお腹は空くものだ。この広場、Plaza de la Reina(王妃の広場)と言うらしい。コロンブスをアメリカに送ったイザベラのことかと思いきや、María de las Mercedes de Orleans、オルレアンといえばブルボン、スペイン継承戦争でスペインの支配権がハプスブルグからブルボンに移ってからのフランスの王妃様である。基本的に、今のスペイン国王の先祖である。基本的と言ったのは途中で家系図の正当性が危ぶまれる女王がいたからだ(笑)。 本来ならパエリア!と言いたいところだが、一人で綺麗なレストランに入るには憚れる。で、救世主の登場はマクドナルドだ。パネルで英語を使って注文できるし、味も悪くない。一番大きなディナーをもらって広場のテーブルで食べる。NYでは雪が降って氷点下の極寒の地になっているそうだが、ここはジャケットもいらない暖かい気候である。オレンジが街頭でなるわけだ。 帰り際に、急いで通り過ぎた噴水を改めて観る。大男を水瓶を持った裸体の少女が取り囲む。この妖艶さはどこから来たのか。教皇庁で娼婦を集めて乱⚪︎パーティーをやっていた「歴史上最悪のローマ教皇」アレクサンデル6世の所業に違いない。 とっぷりと日が暮れた。先ほどのバスを逆方向に乗ってホテルに帰る。 アレクサンデル6世万歳!(笑) (続く) |
第3話 バレンシア風パエリア |
昨夜はセミナーと観光で思い切り疲れていたのでよく寝た。と思ったが、ふと起きて時間を見たらまだ午前1時であった。これが時差ぼけだ。結局そこから明け方まで一睡もできず、それどころか明け方には空腹が襲ってきて7時半のホテルのカフェテリアが開くのを待って、腹いせに朝と昼を合わせた大量のブレックファーストを食べた。 それから少し休んで10時のセッションに出席したが、中々頭に入らない。それに音楽の場合特にそうなのだが、いくら成功した人の話を聞いても再現性が乏しくて話にならない。そもそも、ギター何ちゃらと言うゲームの開発で成功しても、それってギタリストとして挫折したってことじゃん、と捻くれて解釈してしまう(笑)。 次はもっと退屈なお題で、その後にネットワーキングセッションがあるが、笑顔で人と会うなんて今日は無理。急に悪魔が私にサボろうと囁いてきた。いうそういえば今日は天気がすこぶる良い。地中海に面したバレンシアのビーチまでバス一本で行くことができる。しかもバス停は目の前。ふらっと建物を出るとバスがちょうど来たところではないか。しかも良い席が空いている、ってなわけで気がついたら私はビーチ行きのバスに乗っていた。ぐにゃぐにゃ複雑な道を通って15分くらいで明るくひらけたNeputというバス停に着いた。Neputとは海の神ネプチューンのことであろう。眩しい太陽と塩の香りがそこにあった。ビーチの行き方はわからないが、楽しそうな女の子が3人歩いて行くので、着いて行くことにした。正解だ。目の前にいきなり綺麗なビーチが出現した。興奮した。昨年夏に遊んだギリシャのミコノス島ほどではないが、それでも地中海だ。庶民的でかつ情緒がある砂浜が続く。なんと海に入っている女性がいた。気温は22度C。無理でもない。風が強いが水辺まで歩いて行ってみた。嬉しい。Safe Guardのハシゴ、詰所、白いシャワー、砂嵐が私の足跡を瞬く間に消して砂紋を作る。何もかもが私を幸せな気分にしてくれた。 が、ハイライトはそこからであった。ビーチ沿いに綺麗なレストランが並ぶ。その中に看板から店構えからして私を招いてくれている店があった。しかもレストランに一人で入るのを躊躇する私を勇気つけるように女性が一人で食事をしていた。おそるおそる入ってみると感じの良い主人が窓辺の席に案内してくれた。一人分のパエリアを作ってくれるという。なんという素晴らしい店であろう。 朝に、ブレックファーストとランチを合わせて食べてしまったことを後悔したが、私は大食漢である。アクア・コンガスのボトルを飲み物に、前菜にカラマリ、メインにバレンシア風パエリア、食後にカフェ・コン・レッチェ・グランド、ちょうど午後3時に大そうな昼餐になってしまった。しかも綺麗な海沿いのレストランの窓側である。 バレンシアはパエリアを産んだ街なのだ。これを食べずにバレンシアに来たことにはならない。その目的をこんな素晴らしい形で実現できるとは。壁には不思議な絵がかかっていた。ビーチにグランドピアノとバイオリンが置いてあり、音楽家はいないのだが、譜面をまとった女性が砂の上に横になっている。私のための絵なのだ(笑)。この店、La Marcelinaと言う名前で、創業はなんと1888年だという。 店の外には綺麗な花が咲いている。見上げれば、バレンシアとスパインの黄色とオレンジの旗が2本、誇らしげに強い風に旗めいていた。セミナーサボって本当によかった(笑)。しばし海辺でぼーっとした後、来たバスを逆に乗ってホテルに戻る。そこままオールドタウンに行くという手もあるが、何せ腹一杯なので、しばしホテルに戻って休むことにした。それがじわじわと伸び、結局ずっとホテルにいた。今日はもうあのパエリアとカラマリで十分だ。セミナーサボってしまったが、それを補う以上のご褒美を神がくれた(笑)。 バレンシア万歳! (続く) |
第4話 カルメンとボティチェリのビーナス |
バレンシアに着いて3日目、昨日はコンファレンスを丸一日サボってビーチに行って、非常に充実した1日を過ごしたのだが(笑)、今日は一日中セミナー会場にいようと思っている。面白いトピックが目白押しなのだ。 音楽家の最大の資産は、IPだと言われている。Intelectual Property(私的財産)である。音楽家というのは作曲や演奏にばかり時間やエネルギーを取られ、IPをどうやって守り収益に変えていくか、Monetizingが重要である。ブラジル出身スペイン在住の女性エンターテイメント弁護士が非常に上手く解説してくれた。 普段は静かに聴いている自分だが、ことプロの音楽家の生活のこととなると俄然ガチになって、マイクを頼んでパネラーに自己紹介と質問を投げかけた。誠意を持って答えてくれて心から感謝。が、そのことで会場から注目度が上がり、何人かの人と繋がることができた。中でも面白いのは、ウクライナからきたピアニスト・シンガーソングライターで早速意気投合してお互いの作品を紹介し、今後のコラボの可能性を楽しく語りあることができた。まるでボッティチェリが描いた「ヴィーナスの誕生」の実写版のような女性であった。 ロンドンから来たフェスティバルのマネージャーに自己紹介した時には、私のことを知っていると言っていただいた。光栄この上ない。勢いに乗じて、明日Berklee Valenciaからインタビューを依頼されたびっくりしながらも快く承諾させていただいた。 さて、最後5時からのセッションの途中で、例の「歴史的建造物見学症候群」の発作が始まって、速やかに会場を後にしてバスに乗り込んだ。昨日あまり観れなかったTorres dels Serrans(セラノス塔)を、正面の橋から近づく。段々と大きく見えてくる砦が迫力を増す。この街の象徴ともなっている建造物が夕日を浴びて美しい。裏にまわる。やはりそうだ。フランスのカルカソンヌの城門もそうだが、もし敵に取られた時に籠城できないように裏側は壁が無い。格好の的になってしまうのだ。頭良すぎ。さて、ここからBarrio del Carmenに行かなくてはならない。カルメンは有名なフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーのオペラ「カルメン」に登場するジプシーの女性である。主人公が歌う曲「ハバネラ」を知らない人はいないと思う。そういえば、幼少(笑)の頃に日本でも女性二人組のアイドルが「私の名前はカルメンでっす」と歌っていた。Barrioとはバリア、14世紀にレコンキスタでスペインがアラブ人たちからこの地を奪い返すまで、ここにはムーア人とスペイン人の境界線が存在したとのことだ。 迂闊なことに、iPhoneの充電電池をホテルに置いてきてしまい、1日の終わりでバッテリーがなくなって、お得意のGoogle Mapが使えなく、徹底的に探すことが出来なかったが、結局今はバリア(壁)は無く、今では普通の繁華街であった。が、そこにはやれ、カルメン・スパニッシュ・スクール、カルメン・プール、カルメン薬局など名前にカルメンが刻まれている。 細い路地をGPSの力を借りずに彷徨ってみた。いきなり、大きな人形の安置所の前を通る。奇妙だが、カトリックのお祭りにはこうした人形を持ち出してパレードをするのであろう。顔を覆う若い女性はカルメンだと思う。 いきなり、広場に出る。カルメン広場とある。たわわに実をつけたオレンジの木の元で、テーブルと椅子が置いてあり人々が集う。そのわきに立派な教会があり、非常に彫刻の凝ったファサードが聳え立つ。天気がよければ良い写真になるところだが、色が冴えなくて残念である。 今日はこれで十分。連日でパエリアを食べる気にもならないので、すっかり覚えてしまったバスに乗ってホテルに帰ることにした。これもすっかり覚えてしまったホテルの近くのスーパーに立ち寄る。パン、生ハム、オレンジジュース、コーヒー、オレンジ、りんご、バナナ、バター、水を買ってホテルに戻る。生ハムが美味しいので結構良いディナーができる。 スペインは食べ物が美味い! (続く) |
第5話 サーラ・エルサレム |
バレンシアに着いて5日目、コンファレンスは最終日の4日目。本来この日は参加せずに一日中観光と写真をする予定であったが、観光は何気に終わっていたこと、朝イチで主催者であるBerklee Valenciaからのインタビューが入ってしまったことに加えて、昨日会ったボッティチェリのヴィーナスに「Hope to see you tomorrow」と言われてしまっていたので、朝から会場に出かけて行った。残念ながらかなりの雨で、傘なぞ持っていないので、フードを立てて覚悟して歩かねばならない。バレンシアでは一年に2日しか雨が降らないのにその1日が今日だと現地の人から聞かされた。 朝イチでのインタビューは順調であっという間に終わってしまった。ビデオにしてウェブに載せるとのこと。嬉しくもあり嬉しくも無い。 そして公開レコーディングセッションに参加した。講師担当のドイツ人のプロデューサーに自己紹介をすると彼も一時期NYCでジャズピアニストをしていたのだが、今はヨーロッパでプロデューサーになったとのことだ。私も、最近は演奏の仕事に加えて他のミュージシャンのプロデューサーを頼まれることが多くなり、ここに来る前日に大きなレコーディングを終わらせてほっとしていたところであった。私は今自宅のレコーディング・スタジオを営んでいるので、Berklee Valenciaのこうした立派な設備で実際にレコーディンが行われるところを見学し質問させてもらえるのはありがたい。なんと私と同じピアノ、Yamaha C7が置いてあり、みんなが絶賛していた。それは励みになる。もうすでに顔馴染みとなっている他の人と深く交流し情報交換できるのも得難い体験だ。 夕方に、坂本龍一やDavid Bowieのサウンド・デザインを手がけて今も世界的に活動している日本人サウンド・デザイナーの公開セッションに参加。実は、エレクトリックの音楽で4月にマンハッタンのクラブで演奏することになっているので、これは本当に良い機会であった。ボッティチェリのヴィーナスとの再会も果たした。が、あまりにもスタジオが混んでいて暑苦しいことと、あまりにも内容がオタクなので、彼女にはピンと来なかったのであろう。私が講師に質問をしている間にいなくなっていた。 今コンファレンス最終題目は、バレンシア市街にあるクラブでのショーケースである。ショーケースとはバークリー音楽大学の選ばれし演奏家が集まって行うコンサートで、私も最後のジャムセッションに参加しろと言われていた。 キャンパスから会場まではもうお馴染みの市バスなのだが、雨が激しく降って乗り換え時にはすぶ濡れになってしまった。My Fair Ladyというミュージカル映画の中に、主人公のオードリー・ヘップバーンが正しい英語発音を教えられるシーンがあるが、そのシーンの曲が”The rain in Spain stays mainly in the plain!”である。濡れ鼠になりながら私はそのメロディーを口ずさんだ(笑)。 クラブの名はSala Jerusalem。レコンキスタ後にこの名前を使うとはなんとも粋である。雰囲気はすこぶる良い。音楽の世界は、スポーツと同じで新しい世代の若者は往年の者たちよりも技術も全て優れている。私も時々若者の手本にどうだと言われるが、何を何を、若い人たちの方がはるかに優れている。今夜は私をノックダウンしてもらう覚悟で出かけてきたが、私もイケると思い始めたので帰ることにした。 で、バス停に向かう途中に行きしな目をつけていた深夜食堂があったので立ち寄る。表に出ている写真にChaufa de Mariscosなるものがある。要はシーフードチャーハンだ。次の瞬間には座席に座って、店のにいちゃんのがメニューを見せる前にオーダーした。大正解!私はオサレなレストランよりも、こうして壁に売れない歌手のポスターが掛かっている貧乏くさい食堂が好きだ。どこの国籍かはわからないが(後にペルーと判明)、フランスやUKと比べて圧倒的にエキゾティックなこのスペインの中にあってさらにエキゾチックな街がこのバレンシアであった。 これをもって6日間のバレンシアは終わり。明日は早朝にマドリッド経由でNYに戻る。大阪在住のご学友から、バルでリオハ(Rioja)ワインを飲めとの指令があったが、明日の空港で生ハムと一緒にお土産で買おう。スペインは世界一過小評価されて観光地だとアルゼンチン出身の元生徒が私に言う。そうかもしれない。それを証明するために次回は、パネラーから紹介してもらったIbiza島のコンファレンスに行こうと思う。 バレンシア、スペイン、そして歴史上最悪のローマ教皇アレクサンデル6世、Berklee Valencia、ボッティチェリのヴィーナス、1888年創業のLa Marcelina、素敵な時間を本当にありがとう! (終わり) |
Camera: Canon EOS R6 Mark II, EOS R8 & iPhone 14 Pro
|